携帯電話が電話機ではなくメール端末になるのは,いつなんだろう。世界はちょっとうるさすぎる。世界の電話を止めてくれ,僕は静かにメールが読みたい。
携帯電話は都市の風景の一部になった。しかし,マナーに関する論争は烈しさを増している。携帯電話は使うためにあるとし,常にコミュニケーションをとれる便利さを享受している者たちと,個人の領域を狭められることに反対する者たちとの,戦争だ。ニューヨークには,ほんの一握りながらも,店内を携帯電話が使える席と使えない席に分けているレストランさえある。
なにをいまさら…と云う話題だが,この問題は日本の方が先行しているのだろうか。携帯電話のマナーについての話はもう出尽くした感があるが,まだまだ,映画館でも,電車の中でも,コンサート会場でも,病院でも,美術館でも,講演会でも,…携帯電話は鳴り続ける。「ダメ」と言っても,「止めて」と言っても鳴り続ける。着信音が耳に障り,話し声が耳に障る。
問題は,携帯電話というハードはハイテクなのに,相手の声を聞き口で話すという「電話」というものが,まったく変わらずアナログだということだ。1876年の電話の発明からまったく変わらない。電話自体に,なにか変化があってもよさそうなものだ。マイクへの音はすべて吸収してしまう消音機能や,脳波を読み取って音声として発信する機能,ちょっと指向が違うがメール端末として確立するための料金体系を敷く(通話は馬鹿高く,メールは安く),などなど。電話もちょっとは,変わらなきゃ。
|